大学概要【2025年度実施分】経営学部?経済学部連携による産業遺産?産業集積を活用した新たなビジネスモデルと地方創生の取組

学部?部署共同

【経営学部?経済学部】経営学部?経済学部連携による産業遺産?産業集積を活用した新たなビジネスモデルと地方創生の取組
実施責任者:田中 武憲

本プログラムは,経営学部?経済学部の学生が地域の特色ある産業遺産や産業集積を活用し,地域?社会?卒業生など本学の幅広いステークホルダーとも連携?協働して,それぞれの専門知識を活かした新たなビジネスプランや地域活性化策を企画?検討?実施します。このような取り組みを通じて,学生や若者が中心となった地方創生と社会貢献の実現を目指します。

ACTIVITY

世界遺産登録10周年を迎えた岩手県釜石市「橋野鉄鉱山」を訪問しました

2025/09/22

 わが国の近代工業化の原動力となり,今日の「モノづくり大国」日本の基礎となった製鉄?製鋼などの産業遺産群が,2015年,「明治日本の産業革命遺産――製鉄?製鋼,造船,石炭産業」としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。
 本年度,経営学部?経済学部の連携?協働事業として新規採択された「学びのコミュニティ創出支援事業」の一環として,9月14日,経営学部?経済学部の学生23名が世界遺産登録10周年を迎えた岩手県釜石市の橋野鉄鉱山を訪問しました。
 一般的な高校の教科書などにより,1901年に操業を開始した官営八幡製鉄所はよく知られておりますが,江戸末期,盛岡出身の大島高任は西洋の技術書を頼りに釜石に高炉を建設,1858年に日本で初めて鉄鉱石を原料とした近代製鉄による連続出銑に成功しました。この成功を受けて,明治政府は釜石に官営製鉄所を設立,1880年に操業を開始します。
 学生ははじめに釜石市?鉄の歴史館を訪問,森一欽館長の説明により釜石における近代製鉄の歴史を学ぶとともに,鋳造によるキーホルダーの製作体験にも参加しました。
 続いて世界遺産の構成資産であり,現存する日本最古の洋式高炉跡である橋野鉄鉱山を訪問,森館長より当時の製鉄の様子を詳しく説明頂きました。
 今回のフィールドワークを通して,参加した学生は日本の近代工業化のプロセスのみならず,現在も「鉄のまち」として有名な釜石の発展に釜石製鉄所が果たした役割について,詳しく知ることができました。
(写真提供:公益財団法人さんりく基金?三陸DMOセンター佐々木恒人?観光地域づくりコーディネーター)

釜石市鉄の歴史館?森一欽館長による展示物の説明

鉄の歴史館での鋳造体験の様子

世界遺産?橋野鉄鉱山

橋野鉄鉱山での集合写真

世界遺産登録10周年を迎えた福岡県北九州市「八幡製鉄所」関連施設を訪問しました

2025/11/03

 本年度,経営学部?経済学部の連携?協働事業として新規採択された「学びのコミュニティ創出支援事業」の一環として,10月30~31日,経営学部?経済学部の学生10名が,世界遺産登録10周年を迎えた福岡県北九州市の官営八幡製鉄所の関連施設を訪問しました。
 今回のフィールドワークは,9月に実施した岩手県釜石市の橋野鉄鉱山など明治期のわが国近代製鉄の取組みの連続性?発展性を学ぶことを目的として,まず東田第一高炉跡(市指定史跡;臨時休館中)を確認した後,八幡製鉄所の跡地に建設されたスペースLABO ANNEX内の世界遺産ビジターセンターで,八幡製鉄所に関連する各種展示物や各種文献資料などを調査しました。
 その後,世界遺産の構成資産である八幡製鉄所?旧本館事務所を眺望スペースより視察,ボランティアガイドの方から丁寧な説明を受けました。
 翌日は同じく世界遺産に登録されている福岡県中間市の「遠賀川水源地ポンプ室」を訪問。同施設は八幡製鉄所の第一期拡張工事に伴う工業用水の不足を補うために,遠賀川河口から約11kmの現在の中間市に設置された送水施設であり,送水システムは「日本近代水道の父」と呼ばれる中島鋭治東京帝国大学教授により設計され,英国製「デビーポンプ」が設置されました。
 今回のフィールドワークを通して,参加した学生は釜石から八幡,そして現在へ続く日本の近代製鉄と工業化のプロセスを正しく学ぶ一方,八幡製鉄所?旧本館事務所,遠賀川水源地ポンプ室はいずれも現役で稼働していることから内部が非公開となっており(敷地外に整備された眺望スペースから外観のみ見学可),これらの構成資産を地域の観光資源として活用する課題についても理解することができました。

八幡製鉄所東田第一高炉跡

世界遺産?旧本館事務所の眺望スペース

世界遺産?遠賀川水源地ポンプ室の眺望スペース

周囲からレンガ造りのポンプ室を望む学生

世界遺産登録10周年を迎えた福岡県北九州市「八幡製鉄所」関連施設を訪問しました

2025/12/08

 当プロジェクトの主要研究対象は北部九州の諸産業ですが、その北部九州で花開いた製鉄?鉄鋼業のルーツが岩手県釜石にあることに注目し、9月に釜石の製鉄遺産を訪問調査し、あわせて岩手県に進出した自動車部品メーカーを訪問調査しました。そこで得た情報をベースにしつつ、10月には九州において、八幡の製鉄遺産の訪問調査および岩手県と同様に自動車部品メーカーでの訪問インタビューを実施しました。
 以上の活動から、技術進歩と産業構造の変遷との関係に一定の知見を得ましたので、その点を含む研究報告を、12月6日に開催された経済学部のレポートフェスティバルにおいて「イノベーションの光と影」というタイトルで実施しました。
 釜石では幕末から、南部藩の鉄器製造技術の遺産も生かしつつ、大島高任が積極的に西洋技術の導入を図り、1857年に日本初の洋式高炉を建設しました。しかしながら、この方式での製鉄を採算に乗るものとして産業化するためには数々の困難があり、釜石における官営製鉄の取組は約3年で終わり,以後,払い下げを通じて民間による産業化の取組が続けられました。
 一方、明治政府は釜石の経験をもとに、原料調達などの点でより適切な八幡に官営製鉄所を建設する決定をします。この過程において、釜石の製鉄所は事業を縮小し、関連する職業に従事していた人たちの多くは職を失いました。とはいえ釜石での製鉄事業は無駄になったわけではありません。そこでの製鉄技術は八幡において(リニューアルされつつ)生かされたのです。
 こうして八幡製鉄所を中心に製鉄?鉄鋼業の地域として栄えるようになった北部九州ですが、その製鉄?鉄鋼業をはじめ、日本中のエネルギー供給源となっていたのが九州の炭鉱の数々でした。この地域は石炭と鉄鋼の街として栄えたのです。
 しかしながら当地の炭鉱群は、1960年代のエネルギー転換(石炭→石油)の中で次々と閉山に追い込まれ、石炭産業は斜陽産業となっていきます。それに伴い多くの失業者も生み出されました。しかしながらここでも、石炭産業の遺産は必ずしも無駄になりませんでした。炭鉱関連の産業機械技術、石炭運搬のために発展した造船?海運のインフラなどは、当地の機械工業を支える柱のひとつになり、その後の電機産業や自動車産業へとつながっていきます。
 釜石では越えられなかった製鉄産業化の技術的ハードルが、八幡で乗り越えられたことで、釜石と八幡は一見すると光(八幡)と影(釜石)のように見えますが、しかし八幡の技術の中には釜石の遺産が息づいています。炭鉱が閉山して、今や自動車産業の集積地となっている北部九州を見てみると、炭鉱と自動車も光(自動車)と影(炭鉱)のように見えますが、自動車産業の中には炭鉱の産業的遺産が息づいているのです。
 このようにイノベーションの光の中にも影が、影の中にも光があることに気づいたことは、当プロジェクトでの大きな学びであったと言えるでしょう。レポートフェスティバルではその学びの成果が報告されました。

経済学部「レポートフェスティバル」の様子

岩手?釜石,福岡?北九州のフィールドワークの成果報告を行う学生

学生による発表の様子

  • 情報工学部始動
  • 社会連携センターPLAT
  • MS-26 学びのコミュニティ